三菱地所/丸ビル(東京都千代田区)開業15周年/丸の内エリア全体のにぎわい創出へ

 三菱地所が開発・所有する「丸の内ビルディング」(通称・丸ビル)が6日、開業15周年を迎える。同社は丸ビルの建て替えを、丸の内エリア全体の活力を取り戻す起爆剤に位置付けプロジェクトを推進。計画立案した当時最先端だったオフィスビルへの商業機能の導入やインキュベーション施設の配置などを実現した。丸ビルの開発で培った街づくりのノウハウは、その後に続く開発事業に受け継がれている。
 東京駅にほど近い丸の内エリア(東京都千代田区)は、明治期以降オフィス街として発展してきた。高度経済成長期に開発が一段落した後は20年以上にわたって街並みを更新する動きが鈍化。90年代には東京都心部で高層ビルの開発が相次ぎ、新宿、品川といった地区に後れをとるようになった。
 三菱地所はこうした状況を打破するため、90年代後半に「丸の内再構築」と題した開発計画を発表。丸の内の目指すべき姿として「世界で最もインタラクションが活発な街」という将来像を設定した。
 当時、丸ビルの開発に携わっていた三菱地所の藤井宏章開発推進部エリアマネジメント推進室長は「将来像を実現する第一歩が丸ビルの建て替えだった。丸の内の未来の絵姿を象徴するようなビルにしたいと取り組んだ」と振り返る。
 建て替え後の丸ビルにはオフィスだけでなく商業施設を配置した。当時の丸の内エリアは、ビジネス街という性質から平日の日中以外は閑散としており、社内には商業機能の導入を不安視する向きもあったという。そのため計画段階から、ビル単体だけでなくエリア全体に人を呼び込むための施策を検討した。
 具体的には「2核1モール」という商業施設の開発手法を導入。商業施設が集積する有楽町・銀座エリアと、再構築する丸の内エリアを商業機能集積の両端に位置付け、二つのエリアを結ぶ「丸の内仲通り」にも店舗を配置し、回遊性を高めることにした。
 仲通りでは当時の金融業界再編の流れを踏まえて、銀行の路面店舗が退去する度、商業店舗に入れ替えた。歩道も拡幅しながら路面をコンクリートから石畳に変え、街歩きしやすい空間へと変貌させた。こうした取り組みが奏功し、店舗数や来街者数は次第に増え、現在の丸の内エリアは平日、休日を問わずにぎわう街に生まれ変わった。
 三菱地所は丸ビルの建て替え以降、12棟の再開発を実施した。1996~2014年の18年間で丸の内エリアは事業所数や事業者数が約1・2倍になるなど、ビジネス街としての機能も強化されている。
 新ビジネスの創出に向けたインキュベーション施設を都心に整備する動きも丸ビルプロジェクトが始まりだった。丸ビル以降の開発でも学術研究機関の誘致、託児所やフィットネスクラブの導入、三菱一号館美術館の整備などハード面はもちろん、ソフト面でも街に付加価値を与える取り組みに力を注いだ。
 丸ビルが開業から25周年、新丸ビルも20周年を迎える2027年には、東京駅を挟んで丸の内エリアと相対する常盤橋エリアで、日本一の高さを誇るビルを含む大規模開発が完了する。同社は「丸ビルの建て替えを目指してさまざまな施策を展開してきたように、常盤橋地区の開発に向けてソフトを含めた仕掛けづくりに取り組む」(藤井氏)方針。丸の内エリアで培ってきた街づくりのノウハウを、常盤橋や有楽町など他のエリアの開発事業にも波及させたい考えだ。

(日刊建設工業新聞様より引用)