建築家・池原義郎氏が死去/芸術性あふれる作品創出

 建築家で日本芸術院会員の池原義郎(いけはら・よしろう)氏が20日、肺炎で死去した。89歳だった。告別式は親族で済ませた。偲(しの)ぶ会(代表・中川武早大名誉教授)を6月27日午後1時、東京都新宿区戸塚町1の104の早大大隈講堂大講堂で開く。喪主は長男の正氏。
 1928年東京生まれ。53年早大大学院を修了し、山下寿郎設計事務所(現山下設計)を経て56年早大理工学部建築学科助手となり、建築家の今井兼次に師事。65年講師、66年助教授、71年教授。88年に池原義郎・建築設計事務所を設立した。主な作品に早大所沢キャンパス(埼玉県)や西武ライオンズ球場(同)、浅蔵五十吉美術館(石川県)、酒田市美術館(山形県)などがある。89年日本芸術院会員、95年早大名誉教授、02年勲三等瑞宝章受章。
 大学での建築教育と作品づくりに長年携わった。その多くの作品について、建築評論家の馬場璋造氏は自著で「大胆な構想を綿密なディテールで支えており、芸術院会員の名に相応しい芸術性あふれる作品をつくり続けている」と評した。
 2008年1月に始まった日刊建設工業新聞・創刊80周年企画シリーズ「再生への実践シナリオ」では、これからの都市のあり方として「汎東京湾都市」構想を提唱。東京湾に面した地域を一連の臨海都市と捉え、水上交通を有効に活用するなど都市に水と緑のネットワークを再生することの必要性を示した。
 池原氏は同シリーズで各界の識者との対談を通じ、21世紀に目指すべき「都市と環境」について持論を展開した。
 □濃密な時間の記憶よみがえる/日本建築家協会会長・六鹿正治氏□
 私が池原義郎先生と比較的長い時間を共有させていただくことができたのは2004年、第16回JIA新人賞の審査の時であった。賞の講評を読み返すと当時の濃密な時間の記憶がよみがえる。
 現地審査への行き来のなかで、建築論はもちろんさまざまな話題に花が咲いた。池原先生のお話で今でも強く記憶に残っているのは、ある有名なオーナー社長の先生への厚い信頼の話であったり、先生のご自宅の作り方の話であったり、高齢になった時の仕事のたたみ方の話であったりである。もちろん受賞者の藤本壮介や福島加津也+富永祥子の作品についての議論も深いものであった。
 年を経てどんどん飄々(ひょうひょう)とした風貌になられた先生の建築家としての更に揺ぎない凛(りん)とした信念を伺うことができたのは、その後2008年に第22回村野藤吾賞の審査をご一緒させていただいた時である。
 建築家としての一つの範を示された先生のご冥福をお祈りしたい。
 □指導方法やコメントに含蓄/日本建築学会会長・古谷誠章氏□
 学生時代の学部での製図指導から大学院と、若い時からずっとお世話になってきたが、特に池原先生が建築学科の主任をされた時には、私は早稲田の助手でいたので、先生のすくそばでお手伝いをさせていただいたことが印象に残っている。
 それから早稲田に戻ってからは先生のご退任まで1年だけ重複して、製図の指導をご一緒させていただいた。その時は昔と違って学生を指導する同じ側に立ち、改めて指導方法やコメントを聞き直すと大変含蓄があると感じたことを覚えている。
 何かが終わると労をねぎらって下さり、よく飲みに連れて行って下さった。そういう場でいろいろな裏話をお聞きしたことがとても印象に残っている。
 その後、芸術院賞に私を推薦して下さり、そのおかげで受賞させていただくことができた。私にとっては学生から始まって、ごく最近に至るまで親しくさせていただいたので、本当に残念で、寂しい。

(日刊建設工業新聞様より引用)