回転窓/趣ある字を万年筆で

 哲学者で詩人の串田孫一(1915~2005年)に、仕事場に泥棒が入った時のことを書いたエッセーがある。盗られたのは万年筆とたばこの箱だけ。〈持っていくものが他になかったらしく…〉と振り返っている(『文房具56話』〈ちくま文庫〉の「萬年筆」)▼よその家に2度ほど忘れた時も〈仕事が出来ないので〉とすぐに引き返して取りに行ったというから、万年筆は欠かすことのできない商売道具であったらしい。まさに罪深い泥棒である▼数年来、万年筆がブームになっているとの記事を読んだ。手軽に買える安価な商品が火付け役となり、若者の間で人気を呼んでいるようだ。価格もさることながら、やはり他にはない書き味が好まれての人気であろう▼気に入った書き心地とデザインの一本を買い、使い続けているうちに自分だけの一本になる。万年筆にはそんな魅力がある。〈萬年筆の書き味についてはいろいろ意見があるけれども、どんなものでも使い慣れることが肝心〉と串田はつづる▼知人から今年頂いた年賀状の一枚に万年筆で書かれていたのは「今年は会えるといいね」。趣のある字が胸に響く。

(日刊建設工業新聞様より引用)