水害を乗り越えて・中/カスリーン台風70年/「防げたはず…」繰り返すな

 ◇水系全体で互いを守る
 終戦から間もない1947年に発生したカスリーン台風。記録的な大雨で、利根川上流域の群馬県では、赤城山を中心に山地崩壊などが起き、土石流が襲った。中流部では、同年9月16日未明に埼玉県加須市の堤防が決壊。東京都葛飾、足立、江戸川の各区までに濁流が押し寄せた。氾濫面積は約440平方キロに及び、死者・行方不明者は1930人に上った。
 今年7月の九州北部豪雨での土砂災害と、2年前の関東・東北豪雨での鬼怒川決壊が、同時に、より広範囲で起きたような大惨事だった。
 国土交通省関東地方整備局の泊宏局長は、カスリーン台風を「治水対策の大きな転換点になった災害」と説明する。それまでは堤防などが個別に整備されてきたが、1949年に利根川改修計画が改定され、水系全体で一貫した治水を行う思想へと切り替わった。上流にはダム群を設け、中下流部では河道の拡幅や遊水池整備を行うなど対策が総合的に実施されるようになったのだ。
 堤防断面を拡幅する「首都圏氾濫区域堤防強化対策」などは今も続く。群馬県長野原町の利根川水系吾妻川で建設中の八ツ場ダムもカスリーン台風がきっかけだ。対策は、いまだ道半ばにある。
 利根川の水害は1地域だけで収まらない規模となるため、広域避難に向けた検討も本格化している。関東整備局の元職員で政府の中央防災会議がまとめたカスリーン台風報告書の執筆を手掛けた白井勝二氏(渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団渡良瀬遊水池研究所所長)は、「上・中・下流のそれぞれの対策が、互いを守るために役立っている。それを十分に理解することが、いざという時の対策につながる」と話す。
 石井啓一国交相は「いったん大規模な水害が発生すると、70年前よりもはるかに大きな被害が生じる。しっかりと対策を講じなければならない」と危機意識を示す。仮に当時と同じ場所が決壊した場合、浸水域内人口は当時のほぼ4倍の約230万人(2004年推定)に膨れ上がり、被害額は約34兆円(同)と試算されている。それは国家レベルの危機となる。
 カスリーン台風の災害は防ぐことができたかもしれない-。そんな見方もある。戦前の利根川では大出水が頻発。1935年と38年にも危険な状態に陥っている。このため、39年に「利根川増補計画」が策定され、その後に決壊する箇所でも堤防強化が計画されていた。
 だが、戦争へ向かう中で公共事業予算が減少したことや、堤防が道路として利用されていて、天端が狭くなる盛り土工事への地元の理解が得られなかったことなどを背景に、対策が進まなかった。「人を守るため公共事業を必要な時にやらず、後の祭りになってはならない」。加須市の大橋良一市長は警鐘を鳴らす。
 公共事業への予算配分の選択と、国民の意思。それが社会に大きな影響を与える構図は今も同じだ。川は豊かさの源だが、時に災厄ももたらす。その教訓を伝え、後世に何を残していくのか。それぞれの時代を生きる人に課せられた責任にほかならない。

(様より引用)