2018新年号/明治元年から150年/夏目漱石からのメッセージを読み解く

 ◇「還元的感化」の仕事を追い求めよ
 2018年は、日本が近代国家を目指して歩み出した明治元年(1868年)から数えて150年の節目の年に当たる。江戸時代最後の慶応3年(1867年)に産声を上げた夏目漱石は新生・日本の国づくりと歩みを共にし、変わりゆく東京を眺めてきた。優れた文明批評家とも評される漱石が、当時の建築、デザイン、ものづくりをどう見ていたのか。それを漱石の講演録から分かりやすくひもといたのが川床優氏の『漱石のデザイン論~建築家を夢見た文豪からのメッセージ』(六耀社刊)。漱石が考えるデザイン論から現代人が学ぶことも多いはずだ。
 漱石がデザインについての考え方を直接的に語ったのは、「私は工業の部門に属する専門家になろうとした事がありました。建築家になろうと思ったのです」という話で始まる1914年1月に東京高等工業学校(現東京工業大)の学生に行った講演だ。
 この中で漱石は、知的生産分野の仕事を「活力の節約」と「活力の消耗」という二つの視点で分類し、「活力を節約する努力はいろんな方法があるが、手でやれば一時間かかる事をも、機械で三十分でやってしまう。(略)そうして我々の生活の便を図る。これがあなた方の専門の仕事です」と説明した。建築やインテリア、工業デザインを具現化するには何らかの規則性や公式、制約の中で素材を使うが、「君たちの仕事は自然の法則をアプライ(応用)しただけなのであります」と指摘。その上で個人の人格がない、見えないところを問題視した。
 一方、漱石自身が手掛ける文学や、美術、芸術などは「活力の消耗」の方であり、「なくてもすむが、ありたいものだ」と話すにとどめているが、東京高等工業学校での講演より前の1907年4月に東京美術学校(現東京芸大)で行った「文芸の哲学的基礎」と題した講演で、「還元的感化」という言葉を使い、文学が果たす社会的意義を説いている。「作品を通して読者が反応し、意識が高まり、著者と同じレベルでものごとを共有したときに著者の精神と気迫が人々の意識に影響を与え、永久に残る」という漱石流の還元的感化の説明は建築やデザインに携わる人の仕事への姿勢を表す話としても興味深い。
 漱石は、明治新政府が推し進める文明開化を強烈に批判している。
 1911年8月に和歌山県で「現代日本の開花」をテーマに行った講演は、「外圧と内発性」をキーワードに、当時の日本の現状について「今まで内発的に展開してきたのが、急に自己本位の能力を失って外から無理に押されて否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様になった。我々はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのである」と慨嘆した上で、「皮相上滑りの開花」「取ってつけたようではなはだ見苦しい」と痛罵した。
 日本の進む方向を憂える漱石が1913年12月に第一高等学校(現東京大)の学生の前で行ったのが「模倣と独立」と題した講演だ。
 漱石は学生を前に「日本人民は人真似をする国民として自ら許している」と静かに話し、「イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルな人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。しかし、イミテーションは啓発するようなものではないと私は考えている」と述べ、文明開化の名の下にあまりに多くの分野で模倣ばかりを急ぐ当時の日本の状況を嘆いた。
 次代を支える学生たちはこのような過ちを犯すべきではないという強い信念があったとみられ、「自分から本式のオリジナル、本式のインディペンデントになるべき時期はもう来てよろしい。また来るべきはずである。人と一緒になって人の後にくっついて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります」と諭した。
 この講演は漱石が亡くなる3年前。次代の日本の担い手に託した遺言でもある。

(日刊建設工業新聞様より引用)