2017年春の叙勲受章者に聞く/旭日中綬章/日本工営取締役会長・廣瀬典昭氏

 ◇思い描いた通りの道を歩めた
 政府開発援助(ODA)の仕事に携わる日本工営の社長としての功績と、海外コンサルティング企業協会(現海外コンサルタンツ協会、ECFA)の会長として建設コンサルタント業界をけん引した功績が認められたのは光栄でありがたい。ECFAの活動に加え、建設コンサルタンツ協会や土木学会などの活動にも関わってきた。今も50を超える学・協会で組織する「防災学術連携体」の代表幹事を務めている。これからも業界の発展に尽くしたい。
 建設コンサルタントを志したのは、大学で河川工学を学び、海外で水資源開発に携わりたいとの強い思いがあったからだ。1968年に日本工営に入社し、念願の海外勤務は入社4年目。最初の仕事はインドネシアのブランタス川開発事業のマスタープランの改定。60年代から今も続くODAによる大規模開発事業で、流域面積1万3000平方キロの水力発電や潅漑(かんがい)施設、工業用水などの開発計画を手掛けた。
 現地に赴任して半年はデータ集めに奔走する毎日だった。雨量計を設置している各村を歩き、村の人々にどう測っているのかを聞いて回ったが、山中の整備されていないひどい道を歩くことも多かった。調査チームの中で最年少だったが、当時は若くても一から任された。建設省の職員がODAの管理委員として一緒に現場に泊まり込み、調査方法などを細かく指導してくれた。日本の河川計画分野の先端にいる人々がすべてを教えてくれた。当時は官民が一緒になって人を育てた。
 ブランタス川流域開発事業の後、マレーシアで携わった全国水資源開発計画の策定でも、日本の官民の担当者が協力して水管理に関する制度、法律を作り、現在も同国で使われている。ブランタス川流域開発事業で育ったインドネシアの技術者は今、ゼネコン、コンサル、官僚などの世界で幹部になった。日本は人材育成で貢献し、アジアの水行政に大きな影響力があると自負している。
 入社から3年間はコンピューターが入った時期で、データ解析などに活用する方法を検討した。そういうものを使わないと調査や解析には限界があると感じていた。新しもの好きのため、60年代に人工知能(AI)の第1次ブームが起きた時に日本で最も進んでいたシステムを買ってもらい、3次元CADを作ろうとしたが、あまりに早すぎてコンピューターの能力が追い付かなかった。それでも、その時に集まって研究した人材が当社の情報基盤をつくる中核に育った。
 50歳で東京事業部に移ったが、フィリピンのピナツボ火山の噴火で被害があった街の復旧計画にも携わり、大規模な砂防事業に関わった。国内外の業務をこなす忙しい毎日だったが、好きなことをやらせてもらった。
 学生時代に思い描いた通りの道を歩んできた。同じ経験を今は簡単にはできないだろう。こだわらず、良いものは取り込む。リスクは深く考えず、やってみて何とかするのが信条。振り返れば、まさにコンサルタントという人生だ。
 (随時掲載します)

(様より引用)